2012-08-24 第180回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
万葉集は、天平宝字三年、七五九年ですが、一月一日、収録された四千五百十六首のうち最後に置かれ、かつ、最も新しい年代の歌、大伴家持自身の歌が、因幡の国府、これは今の鳥取県の鳥取市、合併以前は国府町ですが、因幡国府で詠まれております。 古今和歌集は、延喜五年、九〇五年四月の十五日に、紀貫之が平安京の内裏で二十巻の最初の勅選和歌集を選進いたしております。
万葉集は、天平宝字三年、七五九年ですが、一月一日、収録された四千五百十六首のうち最後に置かれ、かつ、最も新しい年代の歌、大伴家持自身の歌が、因幡の国府、これは今の鳥取県の鳥取市、合併以前は国府町ですが、因幡国府で詠まれております。 古今和歌集は、延喜五年、九〇五年四月の十五日に、紀貫之が平安京の内裏で二十巻の最初の勅選和歌集を選進いたしております。
巻二十、四千五百十六番、万葉集最後の歌でありまして、天平宝字三年、七五九年の正月一日に、因幡の国庁で国司大伴家持が、昔の鳥取県知事であった大伴家持が詠まれた歌であります。 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと) どうもありがとうございました。
天平感宝、天平勝宝、天平宝字、天平神護、神護景雲というこの五つが四字でございますが、それ以外の元号はすべて漢字二文字ということでございます。
さっき原田先生からもお話がありましたところの木簡が出たということ、それからまた年代が記入されている、天平宝字の銘が木簡に書かれているということは、ちょうどその年にどういうふうな事実があったかということを続日本紀あたりと比べ合わせてみまして、ああ、それではこのときこういうふうな事実があった、それではおそらくこうなったろうという事実がわかりまして、非常に興味深く、また当時の文化史、人間の生活史をはっきりさせるということの